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東京地方裁判所 昭和39年(合わ)275号 判決 1965年8月30日

被告人 工藤末太郎

昭二・九・一三生 土工

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右本刑に算入する。

但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人対馬清治及び同山田寿造に支給した分の各一〇分の一を被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、高等小学校卒業後、本籍地で、農業に従事していたが、買い入れた畑地の代金支払に追われ、生活に困窮したため、昭和三九年四月頃、出稼ぎのため、妻子を残し、同郷人である成田秀雄を頼つて単身上京し、右成田が責任者となつている東京都内の潤生興業株式会社成田班に土工として雇われ、都内大田区久ヶ原一、二二四番地の同会社現場宿舎に住み込んで、東海道新幹線工事に従事していたものであるところ、同年七月二一日、作業現場が変つたため、肩書住居の沼部宿舎に移り住むこととなつたものであつて、同日夕刻から、右沼部宿舎(一八畳の部屋において、同僚の土工など一八名位と共に、宿舎の引越祝の振舞酒を飲んでいるうち、午後九時頃、仲間の土工の蝦名小太郎と山田俊衛とが取つ組み合いの喧嘩を始めたため、これを制止しようとした。ところが、逆に、右蝦名から暴行を受け、頭部及び左膝関節に出血を伴う軽い傷を負うこととなつてしまつたので、右蝦名の所為に憤慨し、姿の見えなくなつた同人を探し求めていたものである。

被告人は

第一、右七月二一日午後一〇時少し前頃、右沼部宿舎入口付近において、居合わせた仲間の土工高木行雄(昭和二年九月一八日生、当時三六年)に対し、「蝦名はどこに行つたか。」と尋ねたが、高木から、「知らないよ。俺に文句があるのか。」などといわれたため、同人の態度に激昂して、同人を、宿舎の外に呼び出し、右宿舎前路上において、出てきた右高木の頭部を、付近において拾つた手拳大のコンクリート塊一個(昭和三九年押第一、四八三号の一で一回殴打し、よつて同人に対し、入院加療約一ヵ月、その後の通院加療約一ヵ月を要した頭蓋骨折、内出血を伴う頭部打撲傷などの傷害を負わせ、

第二、右判示第一の犯行後、間もなく、同日午後一〇時すぎ頃、同所付近に蝦名小太郎があらわれ、被告人と対峙し、来あわせた土工山田寿造が制止したにも拘らず、被告人に対し、細長い木材の棒一本を持つて構えたため、被告人も付近から細い木材の棒(長さ約九〇糎、約四・五糎角)を拾つてこれに応じ、蝦名と共に互いに棒を振りまわしながら宿舎西側の多摩川堤防上に至つたところ、同所において、蝦名が棒を槍を突き出すような格好で、勢いよく、被告人に向つて突き進んできたので、被告人は、右蝦名の攻撃を身を引いて避けた。そのため勢い余つた蝦名が堤防のコンクリート斜面(川原側、長さ約八・一米)を駈け下りてしまつたので、被告人は、同人を追つて堤防下(川原側)に至り、同所において、横倒しに倒れていた蝦名小太郎(大正四年八月一四日生、当時四八年)の左顔面部付近を、前記所携の木材の棒で一回殴打する暴行を加えた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(当裁判所が公訴事実中殺人の点を認定しなかつた理由)

一、(一) 本件公訴事実中、殺人の点の要旨は、被告人は、判示第一の如き高木行雄に対する傷害行為ののち、蝦名小太郎と喧嘩し、宿舎西側の多摩川堤防付近において、角木材一本(長さ約一三五糎、八ないし九糎角、重さ約六・五瓩)を持ち、これをもつて蝦名の頭部を強打すればあるいは死亡するかも知れないと認識しながら、右角木材で蝦名の頭部を一回強打し、硬脳膜下出血、くも膜下出血及び脳挫傷の傷害を与え、同人をして、昭和三九年七月二一日午後一〇時一八分頃、同所付近で、右傷害による脳機能障害のため、死亡させ、殺害したものである、というのである。そして、検察官は、第一二回公判における論告において、被告人が右木材で蝦名の頭部を殴打して公訴事実記載のような致命傷を与えた経過については、(イ)被告人が、右堤防上又はその付近で蝦名の頭部を殴打し、その結果蝦名が堤防下(川原側)に転落した場合、(ロ)(イ)と同じ経過に加え、転落した蝦名が更にその頭部を堤防下の石に激突させた場合、(ハ)右堤防上での抗争の途中、堤防下に転落した蝦名を被告人が追い、堤防下(川原側)で蝦名の頭部を殴打した場合の三つの場合が考えられ、そのいずれであつても、被告人は、殺人罪の刑責を免れることができない旨主張している。

(二) これに対し、被告人は、当公判廷において、(イ)被告人は、蝦名から攻撃されたため、右堤防上に逃げたものであり、また、公訴事実記載のような大きな木材を持つたことや、蝦名の頭部を殴打したことはない、(ロ)蝦名は、右堤防上で、長い木材を持つて被告人の方に突き進んできたので、被告人が身を引いて避けたところ、そのまま堤防の斜面を駈け下りていつてしまつたものであるから、蝦名の頭部にある前記致命傷は、右のように駈け下りた際、蝦名が墜落又は横転して下の石に当つて出来たものと思う、(ハ)被告人は、右堤防下に蝦名が横倒しに倒れているのをみて、その左頬付近を一回細い木材(長さ約九〇糎、約四・五糎角)で殴打したにすぎない、旨供述し、弁護人も、事実関係は、被告人の供述どおりであり、被告人は、蝦名に対する傷害罪の刑責を負うにすぎない旨主張している。

(三) 当裁判所は、右殺人の公訴事実に関する各証拠を判断し、検察官、被告人、弁護人らの主張を検討したうえ、判示第二の如く、被告人は、蝦名に対し暴行を加えたにすぎないものと認定したのであるが、以下において、その理由を説明することとする。

二、本件殺人の公訴事実中、被害者蝦名小太郎が、検察官主張の日時頃、多摩川堤防下(川原側)において、検察官主張の致命傷たる頭部損傷を受け、受傷後間もなく死亡するに至つたことは、各証拠、なかんずく、医師斎藤銀次郎作成の鑑定書、石橋春喜作成の「調査復命」と題する書面などにより明らかである。そして、右蝦名の頭部損傷について、蝦名本人と被告人とを除いた他の何人かの行為がこれを惹起したことをうかがわせる事情は少しも存在しないから、被告人がこれを与えたものであるか、あるいは、被告人の弁解する如く、蝦名本人の行動によつて生じたものであるかのいずれかに限定されるのである。そして、この点が、本件の中心問題である。

三、当裁判所の検証調書(二通)及び前掲司法警察員作成の実況見分調書によれば、本件の現場である多摩川堤防、同川原、同土手から川原に至るコンクリート斜面の状況は、堤防と川原との高低差約三・五米のところを、長さ約八・一米、傾斜度約二六度のコンクリート斜面があるのであるから、高所から垂直に墜落する場合とは異なり、人がそこを駈け下りて転倒する可能性はさほど大きくなく、また、転倒してたまたま川原にある石に頭部を激突させる可能性も大きくはないものと考えられるので、被告人が弁解するように、蝦名がコンクリート斜面を駈け下りた際墜落又は横転して下にあつた石に頭部を激突させて、本件致命傷を受けたとすれば、それは異例な場合といえるであろう。

そこで、まず、右致命傷たる頭部損傷の発生原因について、医師斎藤銀次郎作成の鑑定書、鑑定人上野正吉作成の鑑定書並びに同松倉豊治作成の鑑定書(以下単に斎藤・鑑定の如く記す。)証人斎藤銀次郎の第三回及び第八回公判における各供述、同上野正吉の第七回及び第一一回公判における各供述および証人松倉豊治に対する当裁判所の証人尋問調書(以下単に斎藤・供の如く記す。)を中心に、本件が右のような異例の場合にあたるかどうかを検討してみる。

(一)  被告人が供述する如き状況、即ち、蝦名が多摩川堤防のコンクリート斜面を駈け下りた際、墜落する形となつて、頭部を下にある石に激突させて致命傷を負つたとの可能性について、上野・鑑定、松倉・鑑定がいずれも、これを肯定するほか、第八回公判における斎藤・供も、これを肯定していることが注目に価する。殊に、上野・鑑定は、蝦名がコンクリート斜面を斜めに駈け下りた際、その下部において、つまずいて頭部を下にし、落下して下にある石に頭頂後半右側を激突させた結果、前記致命傷を受けた可能性が極めて高く、しかも、これは、他の可能性を除斥しうる程度であり、特に、本件致命傷は、蝦名が立位又は座位にあるとき木材などで殴打されたことによつて生じたものと見ることはできないと断じている。ところで、上野・鑑定、上野・供及び同人作成の「工藤末太郎に対する傷害殺人被告事件に関する大阪大学松倉豊治作製の鑑定書を読んで」と題する書面によれば、右の如き上野・鑑定の主たる根拠は、被害者蝦名の頭部損傷について斎藤・鑑定及び蝦名の保存された臓器の脳部分を観察、検討した結果、延髄の上端部、即ち、脳橋との境界部付近と延髄の末鞘部、即ち脊髄との境界部付近において、出血と屈曲・挫滅的変化が認められることにあり、かかる延髄部における変化は、極めて異常な外力が作用したことを示すもので、頭部上位という位置関係で上方からの打撃によるものとしては、極めて異例であり、墜落の如く、頭部下位という位置関係で加速度をもつて打撃体に激突した場合においてよく生じうるものと考えられる、というのである。

当裁判所は、上野・鑑定の前提たる延髄部における変化の態様及び程度とその原因についての説明は、おおむね理解でき、かつ、納得できるものと考えるので、もし、事実関係が、右上野・鑑定の説明する如き延髄部の変化が認められる結果、頭部上位という位置関係では本件致命傷が生じえないものと考えられる場合であれば、蝦名は、頭部を下位にした形態で転落して下にあつた石に頭部を激突させた結果、前記致命傷を受け、これにより死亡したものと断定して差しつかえないと思うのである。

(二)  ところが、上野・鑑定において指摘された延髄と脳橋、延髄と脊髄との間付近における屈曲及び出血という変化について、斎藤・供は、右変化、出血が存在することは事実であるが、それは、上野・鑑定の指摘するような屈曲といえるほどの著しい変化ではなく、偏位というにとどまるから、頭部上位という位置関係で殴打した場合にも生じうるものであり、又、ホルマリン固定後は、真直ぐなものが偏位することがあるから、偏位があつても、それが打撲のみによつて生じたものと断定しがたい場合もあり、更に、写真の撮影に際しての位置、方法によつて屈曲しているように見えることも考えられるから、延髄部の変化を根拠として上野・鑑定の如く断定することは妥当でない旨説明しているのであつて、松倉・鑑定及び同人・供は、斎藤・供の如き見解も充分成立しうるから、延髄部の変化が打撃による受傷の際生じ剖検時に存していたものかどうかは断定しがたいとしている。かかる両鑑定人の見解も、一応理解しうるところであるから、当裁判所としては、かかる見解を直ちに排斥することは相当でないものと考えるものであつて、結局、上野・鑑定が指摘した延髄部における変化については、それが受傷のみにより生じたものであることを前提とし、本件致命傷が頭部上位という位置関係における打撃によつては生じえないものとまで断定することは妥当でないとの結論に達した。

(三)  上野・鑑定の見解を全面的に受け入れた場合においても、被告人が、堤防上で、蝦名の頭部を殴打した場合(検察官主張の(ロ)の場合)とかその他蝦名に暴行などを加えて、蝦名が駈け下りて転倒する原因を与えた場合とかが考えられるし、又、前記の如く、延髄部変化の存在という前提を一応除外した場合には、斎藤・鑑定及び松倉・鑑定が認めるように、木材による打撃によつても蝦名の前記致命傷の生ずる可能性があつて、被告人が、堤防上又は堤防下において、蝦名を殴打して致命傷を与えた場合が考えられるから、被告人が右のような行為に出たことが証拠により認定できるかどうかについて、検討してみることとする。この検討は、被告人の弁解と、検察官の主張及びその提出の各証拠との関係から、(イ)被告人と蝦名とが堤防上に至つた経過及び同所における抗争の態様、(ロ)被告人が公訴事実記載のような角木材を使用したことがあるか否か、(ハ)堤防のコンクリート斜面に付着した血液の存在、蝦名の左頬付近における打撲損傷の有無、(ホ)蝦名の全身における多数の損傷の存在などの諸点に及ぶ必要がある。

(イ) 被告人と蝦名とが堤防上に至つた経過及び同所における抗争の態様

被告人は、蝦名が宿舎付近で被告人より長い木材を持つて攻撃してきたので、負けてしまうと思い、堤防の上に逃げてきた旨述べているのに対し、証人山田寿造は、蝦名が先に堤防上に出たようであつたとの供述をし、同対馬清治も蝦名が先に堤防の方にいつて、宿舎などとの境となつている柵をはさんで被告人と対峙していた旨供述している。検察官は、被告人の右供述は信用できず、攻撃的であつたのは被告人であつた旨主張する。そこで、考えてみると、被告人に蝦名と抗争する意思が全くなかつたならば、被告人が、判示第一の犯行後、宿舎西側で蝦名と出会つた際に、宿舎内に逃げるか仲間の救援を求めることが可能であつた筈であるし、被告人の弁解に従つた場合でも、被告人は、判示第二のように堤防下に駈けて下りて行つてしまつた蝦名をわざわざ追つて堤防下に行き、横倒しに倒れていた同人を殴打するまでの必要はなかつたのであるから、被告人に蝦名の攻撃を避けて逃げる意思しかなかつたと考えるのは相当でなく、被告人の前記供述部分には、自己に有利なように弁解していると考えられる点がない訳ではない。しかし、他方、証人山田寿造は、その供述態度及び証人対馬清治の供述からもうかがえる如く、やや知能程度が低く、質問に対して容易に暗示を受け誘導されて記憶にないことを供述したり、質問を充分理解せず又は誤解して供述した点が多分にあつたと思われるから、同人の供述のすべてを、有力な証拠として重視することは妥当でない。(前記堤防上に至る経過についても、同一証人尋問の機会に、被告人と蝦名とどちらが先に上つていつたかはつきりしないとの供述をしている位である。)次に、証人対馬清治の供述については、同人の認識、判断能力は正常であり、ことさら虚偽の供述を行う事情も存在しないから、その供述の証明力は、相当高いものと考えられるのであるが、しかし、被告人と蝦名との区別が、二人の着用していたパンツの色、柄によつて可能であつたとの供述部分は、当時、同証人が、被告人は上半身裸であつたとの誤認又は思いちがいをしていること(被告人が当時、シヤツを着ていたことは被告人の供述や現行犯人逮捕手続書により明らかである。)同証人は、夜間あまり明るくはない堤防付近における被告人らの行動を約二〇米離れた位置から見たのであつて、しかも、その時間は、極めて短かかつたと認められることなどから考えると、正確ではなく、同証人にも、思いちがいや見まちがえがないとはいえず、同証人の供述を全面的に措信することはできない。そして、更に、証人山田寿造は、堤防上では蝦名が被告人の方を何か突くような感じであつたとの被告人の弁解に添う供述を進んで行つているのであるから、結局、両証人の供述によつては、被告人の方が蝦名を攻撃していたものであると認めたり、被告人の供述は措信しがたいものと断ずることはできないのであつて、判示第二の如く、蝦名が木材の棒を構えて被告人に向つたことから、被告人もこれに応じ、互いに木材の棒を振りあいながら、堤防上に至つたものと認めるのが相当であり、いずれか一方が相手を一方的に攻撃していたものとまで認めることはできない。

(ロ) 被告人が公訴事実記載のような角木材を使用したことがあるか否か

検察官は、被告人が公訴事実記載の角木材(長さ約一三五糎、八ないし九糎角、重さ約六・五瓩の木材、昭和三九年押第一、四八三号の二、但し、当裁判所書記官作成の報告書によれば、長さ約一三五糎、約九糎角、重さ約五・九瓩が正確)、を所持し、これをもつて蝦名を殴打したものである旨主張し、被告人はこの点を一貫して否定している。検察官が指摘する如く、被告人の自ら所持していたと弁解する木材の形状(特に太さ)についての供述は、捜査段階と公判段階とで多少変つてきているのであるが、全体としてみれば、検察官主張のような大きな木材を持つたのではないという弁解として一貫しているのであつて、右多少の供述の変化は、むしろ、被告人の使用したと自認する木材が発見、押収されておらず、捜査官から、被告人が各種の木材を示される毎に、その木材と比較して自己の使用したとする木材についての感じを卒直に述べているためであると考えられるのであり、このことから、被告人が自己の責任を免れるため、自己の使用した木材の形状についての供述を変えていると断ずるのは相当でない。ところで、前記検察官主張の角木材には、蝦名の血液型であるB型の血液が、その先端近くの角の部分に四個、平面の部分に一個、いずれも、一糎に満たない円形で付着していることが認められる。そこで、右血液の付着が検察官の主張を裏付けるに足りる有力な物的証拠ということができるかどうかを考察する。

(1) 被告人が前記検察官主張のような太い大きな角木材を所持していたことを認めるに足りる証拠は何らなく、むしろ、証人対馬清治は、被告人が堤防下(川原側)から堤防の上に来たとき持つていたのは、細い棒のように思う旨供述している位である。

(2) 又、証人山田寿造及び同対馬清治の供述によつて認められる被告人と蝦名とが棒を互いに振りまわしていたとの抗争の態様から考えると、前記押収にかかる検察官主張の太い大きい重い角木材は、土木工事などで、太い大きい重いものを扱いなれている被告人にとつても、これを振りまわして人と抗争するには、いささか太く大きく重きにすぎるものと考えられ、むしろ、被告人が主張する程度の太さ、大きさ、重さの木材の方がその場合には手ごろであつて、これを使用したとする被告人の弁解の方が自然であると思われる。

(3) 斎藤・供及び同・鑑定によれば、被告人が、木材で蝦名を殴打し致命傷を与えたとしても、その木材に血液が付着するとは限らないのであるが、仮に致命傷を与えた際に血液が付着したとしても、本件致命傷の形態及び予想される殴打方法(角材の滑らかな側面での殴打)から考えると、本件木材の如く、その側面でなく、主として角の部分に、少量の血液が飛散した如く付着しているというのはやや不自然であるから本件において、本件木材をもつて殴打した際右血液が付着したものとは、認め難い。

(4) 右木材の発見経過についての証人佐藤一郎及び同山田寿造の供述によれば、右木材は、堤防より宿舎に戻る経路の近くで、柵を越した草むらの中から、現場を捜査した警察官が、蝦名の致命傷の受傷状況から判断し、兇器には血液が付着しているものとの想定のもとに、これを発見し、これを山田寿造に確認させたもので、山田寿造が自ら進んで発見したものではないと認められ、しかも、山田寿造は、被告人の所持していた木材の長さ、大きさ、太さなどをはつきり認識していなかつたものと認められるし、右確認は、誘導的なものであつたとも考えられるので、右確認には、あまり重要な意味がない。そして、又、被告人及び証人山田寿造は、被告人は堤防上から川原の反対側(宿舎の前方)に木材を投げ捨てたと供述しているが、被告人が捨てたという堤防上の地点から発見場所までは相当離れていて、堤防上から前記重量の本件木材を前記発見場所まで投げ捨てることはかなり困難なようにも思われる。このことから考えると、警察官が発見した本件木材と被告人が投げ捨てた木材とは、別異のものであつたものとの疑いが強い。

(5) 前掲各証拠を総合すれば、右木材の血液の付着については、その発見場所が、当初、被告人が蝦名から暴行を受け、受傷したのち取つ組み合つたと認められる宿舎西側の場所のすぐ傍であつて、被告人は、当時、頭部に受けた傷から出血していたうえ、被告人の血液型もB型であることが認められるから、このことから考えると、右取つ組み合いの際、被告人の血液が飛散して右木材に付着した可能性もあるので、結局、本件の証拠によつては、右血液が当夜どのようにして付着したものかを確認することができないのである。

以上(1)ないし(5)の如き事情が存在するのであるから、右木材の存在によつて、それが被告人が蝦名を殴打する際に使用した兇器であるとの認定をすることは、妥当でないものといわねばならない。

(ハ) 堤防のコンクリート斜面に付着した血液の存在

蝦名がその下に横倒しに倒れていた多摩川堤防の斜面(川原側)には、六ヵ所(九個ないし一〇個)の血液付着痕があることが、司法警察員作成の実況見分調書(昭和三九年七月二一日の夜半より実施したもの)及びその添付写真一三、一四により明らかであり、その血液型が被告人及び蝦名の血液型と同型であるB型であることも、証拠によつて認められるところである。検察官は、右血液は、蝦名が堤防上で被告人に殴打されて頭部に致命傷を受けたのち、コンクリート斜面を転倒して下にまで落ちて行つたために、その傷口から出血して付着したものであると主張する。しかし、被告人及び証人山田寿造の供述によれば、右斜面の血液付着部分付近では、蝦名を介抱した山田寿造が、蝦名の血液を手、右膝などにつけたまま歩行し、あるいは、手などをついて上つた可能性があり、又、同所を頭部に負傷し血を流していた被告人が、蝦名を追つて下り、更に上つていることもうかがえるのであるから、これら蝦名以外の者が斜面を通行した際、蝦名又は被告人のB型血液が付着したものであるとの疑いがあるのであつて、右血液の付着から、直ちに、検察官の主張する事実を認定することは、困難である。

(ニ) 蝦名の左頬付近における打撲損傷の有無

被告人は、堤防下(川原側)において、横倒しに倒れている蝦名の顔面部左頬付近を一回所携の木材で殴打した旨供述している。しかし、斎藤・鑑定によれば、蝦名の顔面部の右部位には、被告人の打撲に照応する損傷が存在しない。そこで、検察官は、この点についての被告人の供述は信用できず、ひいては、被告人の供述全体の信用性を失わせるものであると主張する。たしかに、この点は、被告人に対する不利な事情の一つであるといえるが、本件の証拠によれば、右堤防下は、当時、それほど明るい場所ではなかつたと考えられるし、被告人は、当時、多少酩酊していたと認められるから、左頬部を殴打したつもりで多少上下にずれた位置を殴打したものとしても、それほど不自然とはいえず、この場合には、上野・鑑定も指摘するように、蝦名の身体に存在する損傷のうち、左外眦部小擦過打撲傷、上胸部左側上外端部の小打撲傷、あるいは、上胸部左上端部鎖骨部の直下方における擦過打撲傷などのいずれかが、被告人の与えた損傷ということになるし、更に、右の如く、被告人が酩酊していたことと、すでに蝦名が頭部に致命傷を受けたのちで、蝦名の身体の生活反応はある程度おとろえていたとも考えられることを考慮すると、判然とした損傷が生じなかつたと解する余地もある。従つて、蝦名の左頬付近に損傷がないことから、被告人の供述を措信しがたいものとして排斥することも相当でない。

尚、検察官は、蝦名の左頬付近に損傷のないことから、被告人は、堤防下で蝦名の左頬でなく頭部を殴打して致命傷を与えたのであるとの主張もしている。松倉・鑑定、同人・供により明らかなように、被告人が倒れている又は起き上ろうとしている蝦名の頭部を殴打して本件致命傷を与えたとすれば、蝦名が頭頂部後半右側を上にしたうつぶせの形となるなど、打撃の方向と頭部との間に特殊な位置関係が成立していることが必要な前提となる。しかし、本件証拠によれば、被告人はもとより、被告人を除けば最初に横倒しに倒れている蝦名を発見したと認められる証人山田寿造も、蝦名は、あおむけに倒れていた旨供述し、証人対馬清治もあおむけになつている蝦名を山田が介抱していた旨供述していて、前記の如き特殊な位置関係の成立をうかがわせる証拠はない。(被告人が堤防下で蝦名の頭部を殴打したと想定する場合にも、用いた兇器についての疑問が残ることはいうまでもない。)

(ホ) 蝦名の全身における多数の損傷の存在

斎藤・鑑定によれば、蝦名の全身には六十余個の比較的軽微な擦過傷、打撲傷、擦過打撲傷などが存在することは明らかである。

検察官は、これらの損傷は、被告人と蝦名とが、堤防の上及びその付近で殴り合つたことと蝦名が堤防上で被告人から致命傷を受けたのち、コンクリート斜面を転倒したために生じたものであり、上野・鑑定の如く想定する場合には、かかる多数の損傷の原因を充分説明できないこととなる旨主張する。たしかに、これら多数の損傷は、検察官の想定する状況下で容易に生じうると考えられるものである。しかし、これら多数の損傷については、その多くが極めて軽微なものであるから、それらの全てが、堤防上及びその付近で、被告人と蝦名が対峙した以後生じたものと断ずる必要はないのであつて、例えば、本件発生の当夜に限つてみても、蝦名は、被告人の司法警察員に対する昭和三九年七月二二日付供述調書によれば、山田俊衛と宿舎内で、坪田国臣の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人とも宿舎内で、それぞれ取つ組み合つていることがうかがわれ、更に、宿舎入口付近で山田寿造がとめるまで被告人と取つ組み合つていることも認められるから、これらの場合に、それぞれ、若干の損傷を受けた可能性があると考えられる。いずれにせよ、全身における多数の損傷の存在そのものは、上野・鑑定の如き想定によつては充分解明できないものということができるが、それ以上積極的に、検察官の主張する想定を証明するものとしては充分でないのである。

(四)  以上説明のとおり、これを要約すれば、被告人の供述及びほぼ全面的にこれを裏付ける如き上野・鑑定の想定による場合には、検察官の指摘するように、被害者蝦名の全身に存在する多数の損傷の点など、二、三の重要な客観的事実について充分な解明ができないこととなるのであるが、さりとて、これらの客観的事実は、個々的に検討し、又、総合して考察してみても、右被告人の供述と直接明白に矛盾するものとして、被告人の供述を信用できないと排斥できるほど有力なものとはいえないし、更に、積極的に、これらの事実によつて、検察官主張の殺人の事実を認めることは困難というべきである。結局、上野鑑定が断定的に想定し、斎藤、松倉の各鑑定及び供述によつても、可能性が充分認められている蝦名の墜落死の疑いは、相当に強く残り、他に右疑いを解消して、検察官主張の公訴事実を認定するに足りる充分な証拠はない。従つて、公訴事実中殺人の点は、証明不充分というべきである。そして、前記二、の如く、蝦名の死亡の原因については、その可能性のある場合が限定されているのであるから、当裁判所は、被告人の供述にほぼ合致する事実を証明充分な事実として、判示第二のとおり認定することとする。

四、以上のような理由で、判示第二のような事実を認定した次第であるが、なお次の説明を付加する。

(イ)  被告人の堤防上における行為と蝦名の死亡との因果関係

本件証拠を検討すると、被告人は堤防上で突き進んでくる蝦名の攻撃に対し、単に身を引いて避けたにすぎず、その際、同人に対し、暴行を加えたことを認めるに足りる充分な証拠はないから、身を避けた被告人の行為とその結果生じた蝦名の墜落死との間には、因果関係が存在しないものというべきである。又、蝦名と対峙し、木材の棒を互いに振り合いながら、宿舎付近から堤防上に到達するまでの被告人の行為中には、棒を振つたという暴行行為はあつたものと認められるが、この暴行行為と蝦名墜落死との間に因果関係を認めることもできない。

(ロ)  堤防下における蝦名殴打の際の被告人の犯意

堤防下に転倒している蝦名に対し、所携の木材で左頬付近を一回殴打した際の被告人の意思につき検討してみると、証拠中には、蝦名が死んでもかまわないと考えて殴打した旨を記載した被告人の供述調書も存在するが、被告人は、当公判廷において、この点を否定し、右供述調書の記載部分は、理詰めの質問を受けたため、真意に反して作成されたものである旨供述しているのであつて、右弁解も一応納得できるものであること、本件証拠を総合すれば、被告人の右殴打に至る経過及び動機については、判示第二の如き事実が認められるにすぎないこと、被告人の用いた兇器は、同判示の如く、比較的細く軽い木材であつて、一回殴打したにとどまつていると認められること、被告人は、犯行後、比較的平然とした態度で宿舎に戻つたが、同所で山田寿造から蝦名が死亡した旨告げられ、びつくりして、同僚に事後処置を依頼している事情がうかがわれ、これらの事情を総合すると、被告人が未必的にもせよ、蝦名を殺害する意思を有していたものとは認めることはできず、被告人は傷害の意思を有していたにすぎないものと認めるのが相当である。

(ハ)  被告人の蝦名に対する刑事責任

被告人の判示第二の蝦名に対する殴打行為の結果については、前記三、(三)、(二)で説明したとおりであつて、傷害を与えたかどうかに疑問があり、傷害を与えたとしても、いかなる傷害を与えたのかその特定が不可能であるから、被告人には、傷害罪は成立せず、暴行罪の刑責を問いうるにすぎない。又、松倉・供及び上野・供によれば、被告人が殴打した当時蝦名は生存していたとはいえ、すでに致命傷を受け、直ちに救済しても死亡の結果を避けえない状態にあつたものと考えられるので、被告人の殴打行為と蝦名の死亡との間には、因果関係のないことが明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項第一号に、判示第二の所為は、刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項第一号に、それぞれ該当するので、犯情により、これらの各所為について、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により、重い判示第一の罪の刑に同法第四七条但書の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で処断すべきところ、被告人の判示第一の犯行は、兇暴悪質なものであるし、判示第二の犯行についても、執拗な点が見うけられるのであるが、いずれも酔余の偶発的な犯行と認められること、判示第一の犯行の被害者高木行雄及び判示第二の犯行の被害者蝦名小太郎の遺族との間には、示談が成立し、被害者又はその遺族らは、いずれも被告人を宥恕していると認められること、被告人には、これまで前科、前歴がなく、真面目な生活を送つてきたものと認められることなど被告人に有利な事情も存在するので、これら被告人に有利、不利な情状を総合考察したうえ、被告人を懲役一年に処することとし、刑法第二一条を適用して、未決勾留日数中三〇〇日を右本刑に算入し、更に、同法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、訴訟費用中、証人対馬清治及び同山田寿造に支給した分の各一〇分の一を被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 真野英一 外池泰治 堀内信明)

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